「はじめアルゴリズム」でクセの強い作品を出してくれた三原和人先生。今度はなんと能です。世阿弥を少年時代から描きはじめました。
今週はライバル増次郎の過去編から。応援してくれていたお母さん。遠征先までついてきて何かと世話をやくのを鬱陶しく思っていたりもしていたのですが、お母さんが宿泊していた寺が火事に。お母さんは焼け死んでしまいます。初日は客が少ないから、と舞台に立たなかった増次郎。つまりお母さんは増次郎の舞を観られずに死んでしまった。ほつれた衣装を直そうとして振り切られてしまったお母さん(の死体)の手に握られていた衣装の一部を見て、増次郎はひきつった表情で固まります。
舞台に向かうのに非常にストイックに、ある意味手段を選ばず対峙する増次郎の根幹はここにあるようです。
一方、舞比べにあたって自分の出番を夕刻にしてほしい、と希望を出していた鬼夜叉。まったく考慮されなかったので義満公に文句を言いに行きます。
「なんで俺がお前の言う事を聞かねばならん」
一蹴です。考えてみればその通りなのですが…。これでは鬼夜叉の考える演出が出来ません。そんな中、市中で火事が。鬼夜叉、何か思い付いたようです。
…どんな演出をするのかわかりませんが、どうも増次郎のトラウマを刺激する結果にしかならないような気がしてなりません。大丈夫か鬼夜叉?
しかし、ここ一~二年、鎌倉~室町時代を舞台にしたマンガが目に付きます。ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」、松井優征「逃げ上手の若君」、そして「ワールド イズ ダンシング」。時代と切り口がどれも上手いこと分かれていてそれぞれ面白いですね。大河ドラマかなにかでこの時代やったっけ?
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