
選考会1番手ぜんまいの得点は75点。良くもないが悪くもない。どうも審査員ごとに審査のポイントが違い、更に会場のウケと配信の写りまで気にしなければならないようです…。
二番手嘉一は元営業マンの経験を生かしたアドリブを効かせた笑いが武器。…それは伝統を重んじる審査員の一人、学問が露骨に嫌うところ。
「えー 落語の方にはちょっと抜けてる“与太郎”というキャラクターが登場いたしますが…」
嘉一が掛けてきた噺は「金明竹」。与太郎が骨董屋で働く話です。
最初は無難に進めていましたが、徐々にアドリブでネタを突っ込んで行き…。
「会場の空気を読んでギャグを足す 寄席ではよくあることだが 今日は退会審査の場だぞ!!」
「くだらんね」
学問はお冠ですが嘉一はどこ吹く風。
「結構です!!」
僕が此処で求めているモノはただ一つ お客様の笑顔!!
…お客の笑顔よりも成績を優先しなければならない生活に嫌気が指していたその時、一生の落語に出会った嘉一。
目の前の客を喜ばせる、その為だけに落語家になりたい、と一生の門を叩いた彼に。
「…いいだろう めでたき事を第一とす “嘉一” お前にこの高座名をくれてやる この名に反する振る舞いをすれば破門とする 貫いてみせろ“阿良川嘉一”」
アドリブをバラマキながらも長台詞の言い立てを完璧にこなし、稽古の量を証明する。
「でもまぁ…中々いないね ここまで客に尽くせる男も」
嘉一の得点は91点! 学問からも評価を得てかなりの高得点です。
続いての出番はひかる。
「私ね 嘘をついてたの 落語は好きよ でもね 一番はアナタ 阿良川あかねに勝つ為に私は落語家になったの」
敵はあかねだけ。ライバル宣言からの阿良川ひかるのネタは…
「銭湯で上野の花の噂かな 花の盛りにゃ野暮が出るーーなんて申しまして」
「花見の仇討ち」長屋の若い衆が花見の席で、仇討ちの寸劇で目立とうとしたら本気の仇討ちと勘違いされて…という登場人物の多い話。これを声優としての能力フル活用で声色を替えて演じ分ける!
“聞いて解る”圧倒的な伝わり易さはそれだけで大きな武器になる。
それは本来、八人分の楽器や音色を聞かせる盲人の芸を指す言葉。それが落語で声色で役を演じ分ける芸を指す言葉として用いられた。
「落語家の世界で“邪道”と謳われた芸 その名は“八人座頭”」
メリハリの利いた語りで客席は大盛り上がりです!
「高座には座布団一枚 その身一つで客前に立つ こんなにも演者の技量だけが試される芸能ないじゃないですか」
「声優 落語 私が今まで培ってきたものその全てで今度こそ朱音に勝つ!!」
ひかるの得点は93点! 嘉一を越えて来ました。
ですがひかる、まだ喜べません。次に出てくるのがあかねですから。
ちょうどまいけるから出された三択そのままの展開。
「審査すら度外視で“仁”を貫く噺 分かり易い演じ分けで客席はウケを狙う噺 その上で自分の経験を活かして魅せた どっちも私が選ばなかった道 私が選んだのは 私が落語家になったのはーー」
「言ってくるね おっ父」
あかねのネタはもちろん
「酒呑みはやっこ豆腐にさも似たり はじめ四角で末はくずぐずーーなんて事を申しまして」
「替わり目」です。父志ん太のネタ。
落語家としての技量は抜きん出ていますが
「前の二人に比べるとインパクトに欠ける」
上げたばかりの「替わり目」では向き合った時間が足りない。自分と向き合い試行錯誤を重ねた年月を経て芸に味が出る…。
ならば今のあかねにとっての「替わり目」とは?
「私はおっ父の芸が好きで おっ父の芸はスゴいって認めさせたくて」
しかしあかねの記憶の中の志ん太は
「真打ちにならなきゃ家族を幸せになんか出来ない」
その姿は自分の仁を、我を通して客を湧かせる強い気持ちを持った者たちとは違って
「落語家阿良川志ん太は 弱い人だった」
自分の結論に呆然とするあかね。
「ねぇ 噺はともだちなんだよね 弱い人はともだちになれないの? 落語家って強くなきゃいけないの?」
反論するのは子供の朱音。
「落語は英雄譚じゃない」
完璧になれない普通の人間の失敗を語る芸。弱さを語る芸であるなら、そこに寄り添えるのもまた弱さを備えた人間なのではないか。
酔っ払ってカミさんに当たる旦那が誰もいないところでこっそりカミさんに感謝する。素直になれない暖かさと志ん太の弱さがオーバーラップする。
人間の多面的な面を描く事で登場人物の解像度が上がる…客を引き込む噺。
阿良川志ん太という落語家に改めて向き合う事で新しい仁を己の物としました。
一剣が呟きます。彼女は一生門下向きの気質だと思っていたが…
「随分とまぁ志ぐま一門らしくなったじゃない」
あかねの配信を見ている者がもう一人。
「見ろっつったってなぁ 画質が悪過ぎて 画面が滲んで見えやしねぇ」
涙ながらの志ん太、1巻以来の登場です。
あかねの芸の幅が広がり、また一つ成長しました。ライバルたちに全く引けをとっていませんね。
また、“志ぐまの芸”が何なのかが少しづつ分かってきた感じです。言葉にはしづらいのですが、これは非常に表に出づらいものになるんじゃないでしょうか。
…それは「落語を強靭な芸にとして未来に生き残らせようとする」一生の目指す所とは真逆だよなぁ。一生には認められないですよね…。
あかねの落語道は更に茨の道となるようです。
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