
去る3月1日、鳥山明先生が亡くなったそうです。享年68歳。現代においてはまだまだ先のある年齢でした。新作映画の企画も動いていた…とのこと。惜しい、もったいないという言葉が止まりません。
「DRAGON BALL」は世界の共通語となり、MANGAを広めるための最初の一手となりました。この作品がなければジャンプ黄金期は訪れず、歴史が変わっていた事は間違いありません。
思えば初連載作「Dr.スランプ」。ド田舎に住む天才発明家のおっさんが作った少女型アンドロイド…がめっちゃ強い! 村なは動物型人間とか宇宙人とか(スー◯ーマンも!)いてワイワイ騒いでる…ウンチもあるよwというコロコロコミックみたいなセットアップw
シノプシスだけ見たら半年くらいで打ち切りになりそうな作品ですが、鳥山先生独特のテンポと描き込みセンスは「Dr.スランプ」を一気に人気漫画に押し上げました。口開けて歯の並びまで描き込むアングルは他で見ませんよw
メカ描写も半端ではありませんでした。「スター・ウォーズⅡ」でしたか、連載中に公開されると作中のエアバイクそっくりのプロップに千兵衛さんが乗って来たりして。読み切りでも絶妙にディフォルメされた戦車や航空機を出して来て、その揺るぎないセンスは他にないものでした。
あるとき、鳥山先生が中国旅行をしてからでしょうか、中華的モチーフが作中に散見されるようになり…ペンギン村に中国人発明家摘さん一家が出てきたり…もともと先生が「燃えよドラゴン」シリーズが好きだったこともあり格闘描写も多くなって行きました。
そして「Dr.スランプ」が終了した後、次の連載として西遊記をモチーフに取った「DRAGON BALL」が始まったのです。
…正直最初「ダッセェ」と思ったのを覚えています。「ボール」って何よ、「龍の宝珠」とか「ジュエル」とか、もうちょっとカッコイイ言い回しがあるだろ…いやまあ典型的厨二病なんですがw
七つ集めるとどんな願いも叶うドラゴンボールを巡るロードムービー。軽妙なギャグにちょいエロも挟んで、他にない描画センスもそのままに。結構無茶なわりに説得力のあるバトルシーンにはシビレました。
特に、ついに呼び出された神龍! なんで紙の上であんな立体的になるの?!どっかで実物見たんですか鳥山先生?!
後で聞いた話では、この頃の「DRAGON BALL」はそこまでの人気ではなく、この後バトルに振ってから人気が爆発したそうです。天下一武道会ですね。
以前でもギャグからバトル展開に変更になるのは「キン肉マン」などあったのですが、これ以降テンプレ化が進む事になります。他にも強さを数値化する「戦闘力」の発明、強化形態として主人公その他の姿が大きく変わる、等後のジャンプ漫画の基本の多くがこの作品から出る事になります。
後に味方になるピッコロ、ベジータ等のライバルキャラ、強大な悪、フリーザ等、他の作品にもオマージュキャラが多数出る事になる、以後のアーキタイプとも言えるキャラクターたちの誕生も外せません。
またそのデザインセンスはコンピューターゲームにも発揮されました。 そう、「ドラゴンクエスト」です。
まさに骨格から考えてるんじゃないか、と疑ってしまうドラゴンの存在感もさることながら、このゲームの白眉はやはり「スライム」ではないでしょうか?
「ドラクエ」以前のスライムって、不定形でダンジョンの天井とかにへばりついて冒険者を待ち伏せし、一度張り付かれると剣では斬れない…火で炙って引き剥がさないと体を溶かされてしまう、ヤベーモンスターだったのですが…。
それが最弱ながらも涙滴型の可愛らしい姿で「僕、悪いスライムじゃないよ」?!「ドラクエ」前のスライムだったらこんな事喋っても袋叩きに遭って終わりですよ?!
不世出の才能と言っていいでしょう。手塚治虫先生が漫画の始祖なら、鳥山明先生は漫画をメジャーの地位にまで押し上げ、大量のフォロワーを生み出した漫画文化の中興の祖と言えるかも知れません。
先生が描くあの世は何だかとても楽しそうなところでした。先生自身も楽しくやっておられることでしょう。悟空みたいにこんな事を言っているかも知れません。
「じゃあな皆、死んだらまた会おう!!」
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